“デザイン”は目的ではない

結局何がやりたいのか、と自身に問い詰めた時に、一応落ち着いた先がデザイナーという選択肢でした。
なぜかと聞かれたら、小さい頃に絵を書き続けていた結果、親友に勝てると自負していたのがそこだったから。

あとは、外見がコンプレックスだった私にとっては、ファッションは特別な存在だったというのもあるかもしれませんね。日々デッサン(まがい)を書いては、「こんな服が欲しいな」と思っていたものでした。

ところが、フリーランスとして舞い込んでくる案件を見通したり、いざデザイナーになるためのポートフォリオを作らなきゃ、と言われると、なんかやる気がおきない。そしてワクワクしないんです。

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> 別にバナーやサイトが作りたかったわけじゃない。
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ふとそう思ってしまいました。
いつもの仕事はこなしつつも、セミナーにいったり、模写したり、codeacademyやったり…迷いつつデザイナーというものになるためにやんわり努力しているつもりでした。

 

そんな中で1つ気づいたことがあります。

それは、自分がブランディングに興味があるんだということです。 

しゃべるのがもともと得意じゃなかったけど、なにか感覚的なものを言葉で表現したりするのは好きでした。

『いいもの、正しいものを、適切な相手に届けたい』
その1つの手段として、幼少期の私は、言葉という手段を選び、大人になった私は広告・出版業界を目指したのでした。

ブランドというものは、そのメーカー、その企業のいいもの、正しいものが凝縮された姿。だから私はそれを大切にすることに心惹かれるのであり、ブランドをデザインすることが、それを適切に誰かに伝える手段につながると信じているからです。

 

結局は絵がつくりたいわけではなく、
『いいもの、正しいものを、適切な相手に届けたい』
という想いをどうやって実現するかに尽きるのだなと。

 

方法はデザインであろうとコピーであろうとなんでもいい。

ただ、自分の得意なやり方のほうが表現できることが多いということだけだと思うのです。

 

デザイン、は目的になりえない。

ちょっと抽象的だけど、先の目標に近づくための1つの手段なんだなと。

そう思った瞬間、制作もディレクションも、英語の勉強だってなんだって、不思議と楽しく思えてきました。

 

目的や目標を胸にしまって日々取り組むことが、こんなにも幸せだったのかと振り返ると思います。

 

何かがうまくいかないと詰まった時は、まず手段に寄り過ぎていないか気にする、ことをお勧めしたいです。