Who made the website? And why?
安藤忠雄展、行ってきました。
まさか4時間以上いるとは思ってもみなかったのだけど、見るところ、考えるところがいたるところにあり、出口に着く頃にはいつの間にか日が落ちていました。
安藤さんにはちょっとした所縁を感じていて、一度関西にいたころ講演にいく機会があり、目の前で拝見したことがあります。
さらに、あの六甲の集合住宅は大学の行き来に毎日といっていいくらい眺めていたもの。
私が建築に興味がでてきたのは、いつの頃だったかわかりませんが、建築家といったらまず私の中で最初にあがる人物の一人なのです。
特設の光の協会はもちろん、展示での設計図や模型自体が素晴らしいのは言わずもがなですが、(特にベネチアの模型は美しすぎた)
彼を彼たる所以にしているのは、その考え方にあるのだというのを強く感じた内容でした。
「建築は建てて終わりではない」「私たちの街は私たちで作る、育てる」という思想。
安藤作品の多くは装飾的な要素を削ぎ落としたコンクリートを主体とし、外界とシームレスにつながっているかのような特長な窓があります。
住む人、利用する人がいてこそ完成する作品なのだというメッセージが伝わってきました。
建築においては、実際に作りあげている施工業者さんです。
しかし、たいていは設計者である安藤忠雄(の建築研究所の人たち)がフォーカスされます。
それは、 建築物というものを遺すことではなく
思想や感情、行動に影響を与えるような核を植え込む仕事・挑戦をしているからのような気がします。
webやアプリでいえば、このデザインを作った、この仕組みのコードを書いたといっても数年どころか数週間で跡形もなくなっているなどというのは珍しくないですが、
結局建築物と同様に、その形ある「もの」が重要なのではなく、どういった影響を世の中に与えたかというのが、クリエイターの価値だと思うのです。
わたしはこれまで、ディレクターとして携わった案件は「このサイトを作ったの?」という問いに対して、
「いや、これを作ったのはJavaエンジニアの○○で」とか「デザイナーのxxで」とか言ってしまっていました。そんな言い訳がコンプレックスでもありました。
しかし、上記のような観点からいくと、映画監督や設計者が「つくった」といえるように、Webディレクターというのも「つくった」人だと自信をもって言える気がしています。
そして、手を動かすこと以上に、重要なものづくりは、ディレクターにしかできないんじゃないかと。
まだまだ人を、世界を変えていくような価値をつくったんだーと言えないのだけれど、
誇らしく「つくった」と言える日がきたらいいなと思っています。
“デザイン”は目的ではない
結局何がやりたいのか、と自身に問い詰めた時に、一応落ち着いた先がデザイナーという選択肢でした。
なぜかと聞かれたら、小さい頃に絵を書き続けていた結果、親友に勝てると自負していたのがそこだったから。
あとは、外見がコンプレックスだった私にとっては、ファッションは特別な存在だったというのもあるかもしれませんね。日々デッサン(まがい)を書いては、「こんな服が欲しいな」と思っていたものでした。
ところが、フリーランスとして舞い込んでくる案件を見通したり、いざデザイナーになるためのポートフォリオを作らなきゃ、と言われると、なんかやる気がおきない。そしてワクワクしないんです。
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> 別にバナーやサイトが作りたかったわけじゃない。
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ふとそう思ってしまいました。
いつもの仕事はこなしつつも、セミナーにいったり、模写したり、codeacademyやったり…迷いつつデザイナーというものになるためにやんわり努力しているつもりでした。
そんな中で1つ気づいたことがあります。
それは、自分がブランディングに興味があるんだということです。
しゃべるのがもともと得意じゃなかったけど、なにか感覚的なものを言葉で表現したりするのは好きでした。
『いいもの、正しいものを、適切な相手に届けたい』
その1つの手段として、幼少期の私は、言葉という手段を選び、大人になった私は広告・出版業界を目指したのでした。
ブランドというものは、そのメーカー、その企業のいいもの、正しいものが凝縮された姿。だから私はそれを大切にすることに心惹かれるのであり、ブランドをデザインすることが、それを適切に誰かに伝える手段につながると信じているからです。
結局は絵がつくりたいわけではなく、
『いいもの、正しいものを、適切な相手に届けたい』
という想いをどうやって実現するかに尽きるのだなと。
方法はデザインであろうとコピーであろうとなんでもいい。
ただ、自分の得意なやり方のほうが表現できることが多いということだけだと思うのです。
デザイン、は目的になりえない。
ちょっと抽象的だけど、先の目標に近づくための1つの手段なんだなと。
そう思った瞬間、制作もディレクションも、英語の勉強だってなんだって、不思議と楽しく思えてきました。
目的や目標を胸にしまって日々取り組むことが、こんなにも幸せだったのかと振り返ると思います。
何かがうまくいかないと詰まった時は、まず手段に寄り過ぎていないか気にする、ことをお勧めしたいです。
ことはじめ
「アウトプットしないのは、知的な便秘」
ssmjpというコミュニティの衝撃的なキャッチフレーズです。
かくいう私も、ライターを生業の一部としながらも、なんかめんどくさくていいや
と、ブログ書きをやめてしまっていました。
昔の残骸
タイの食を究めていました
自由にものを書いてました。振り返ればクソ恥ずかしいことも。
なんでまたブログ書くのかといえば、それは、発信することが生きがいだから。
見てくれる人がいたら、すごく嬉しいから。
アクションをもらえたら、もう最高に幸せだからです。
タイトルにある通り、私は30にして6回以上の転職を繰り返し、大阪、東京、バンコクまで津々浦々渡り歩いてきました。
職種も編集・ライターだったり、webディレクターだったり、はてはグロースハッカー的なことまでしてきた8年間…。
それでも改めて原点に戻った結果、今は「デザイナーになりたいな」というところに落ち着きました。
今やPhotoshopやIlllustrator、sketch使える人もたくさんいるし、素材もフォントも写真も素晴らしいものがそこらじゅうに転がっている時代です。
スキルフルじゃなくても、デザインができる、絵がつくれる中で
やっぱり心の琴線に触れられるようなものを人間中心思考で設計し、残していくことをしていきたいと考えています。
まあそんなところです。
お手柔らかにお願いします。